政治家を志した動機

たくましくも、肩を寄せ合い、毎日を懸命に生きている庶民のど真ん中で生まれ、育ってきました。庶民のもつ公平さや正直さが政治に必要と痛感します。

ジャーナリストである前に、一人の人間

私の夢はジャーナリストでした。その天職が与えられたのは昭和58年。公明新聞から話がありジャーナリストとしての第1歩が始まりました。

そんな私に忘れられない一コマのドラマがあります。平成4年の長崎・雲仙普賢岳噴火災害です。

日本中がテレビの前に釘付けになった、あの6月3日。灰色の大蛇のような火砕流が、島原を飲み込んだ時、私は雲仙にある九州大学火山観測所にいました。耳をつんざく爆音、空は夜のように真っ暗になり、大粒の黒い雨がボタボタと落ちてきました。あっという間に43人もの人命が奪われました。

私はすぐさま現場に駆け込みました。病院に担ぎ込まれた被害者の取材をしようとした私の目の前にあったのは、慟哭(どうこく)、憤激(ふんげき)、叫喚(きょうかん)、まさに絶望という極限状態でした。

搬送されてきた患者にカメラを向けた瞬間、看護婦から「あなたの後ろにあるエレベーターのボタンを押してください!」。見渡すと誰もいない。今この瞬間を逃せないというジャーナリスト魂。しかし私は即座にボタンを押しました。決定的瞬間を逃がしてしまいました。

あの時、ボタンを押さなかったなら、僕は人間をやめなければならなかった。ジャーナリストである前に私は人間なんだという原点を教えてもらいました。

それから、1年。私は長期化する噴火災害を取材し続けました。被害者の一周忌の取材で、普賢岳へ。

「お父さんが大好きだったタバコとウィスキーを持っていくんだ。でも、お父さんは、死んだんだ」と泣きじゃくりながら話す一人の少年の言葉に心を打たれました。悔しさが込み上げてきました。

被災者の復興、教育の問題、これらはすべて政治の問題です。政治とは、本当に困っている人に手を差しのべることです。